2018年4月に2泊3日で愛媛県松山に行った際の旅行記です。初日は松山城を見学し、2日目はじわじわ話題になりつつある「東洋のマチュピチュ 別子銅山」を見学しました。(※写真はペルーの本物のマチュピチュ)
‘’東洋のマチュピチュ”こと別子銅山は日本三大銅山のひとつに数えられ、一時期は世界一の銅生産量を誇るほどの鉱山でした。開坑はなんと!江戸時代1691年(元禄4年)、当時幕領だったこの地で江戸幕府による許可を得た住友家が採鉱を開始したのが始まりです。1973年(昭和48年)に閉坑するまで約300年もの歳月に渡り操業をしていました。
現在、”東洋のマチュピチュ”と呼ばれるエリアは別子銅山の採鉱本部が置かれていた東平(とうなる)という標高750メートルにある「産業遺産」を示しています。そこには花崗岩で作られた重厚な貯鉱庫跡や索道基地跡など当時の鉱山産業の歴史が窺える建造物が残っています。
最盛期には鉱山関係者とその家族、5,000人が住んでいたそうです。
「東洋のマチュピチュ 別子銅山」は2つのエリアに分かれています。
(1)マイントピア別子 端出場ゾーン
1930年から閉山の1973年まで採鉱本部があった場所です。現在は再開発により鉱山のテーマパークとなっています。旧火薬庫を利用した坑内は江戸時代の採掘の様子や採掘体験コーナーなどがあり大人も子供も楽しめるエリアになっています。
(2)マイントピア別子 東平ゾーン
1916年から1930年まで採掘本部が置かれていた場所で、いわゆる”東洋のマチュピチュ”を示すゾーンです。端出場からは車で30分。対向車とすれ違いができない狭い山道を登って行かなくてはなりません。
当日は松山市内でレンタカーを借りて、「道の駅 マイントピア別子」を目指しました。松山市内からは車で1時間半の道のり。この道の駅は「マイントピア別子の端出場ゾーン」と一体となっています。
要するに【道の駅 マイントピア別子=マイントピア別子端出場ゾーン】で、もう一方の「東平ゾーン」はここから車で30分走った山の中にあります。
建物に入ってすぐ「東平ゾーン」への観光バスの受付所があります。運行は1日2便で午前11:00と午後1:00時。観光ツアーは約2時間。(移動で往復1時間、現地ガイド観光1時間)
※某ガイドブックには要予約と書いてありましたので、念のため予約しましたが、当日直接行っても申込は可能でした
バス乗車券と鉱山観光チケットは1900円。いよかんソフトの割引券も付いています。
端出場と東平ゾーンがわかりやすく説明してあるパンフレット。
東平ゾーンへのマイクロバス。参加者が多く3台のマイクロバスに分かれて向かいました。席は先着順なので、車酔いする方は集合場所に早めに並んで前方の席を確保しましょう。
狭い山道を30分かけて走ります。自家用車で来ている人もいましたが、この道ではツアーに申し込んで正解でした!さらにツアーはガイド観光付きなので鉱山の理解度も全然違います!
東洋のマチュピチュ 東平ゾーン
これがいま話題の東洋のマチュピチュ!ちょっと規模感はこじんまりかな・・・
東洋のマチュピチュを横からみた風景!採鉱本部を中心に山あいを切り開いて住宅、学校、病院などが建っていたそうです。そこには娯楽施設まであって、この場所に5,000人のコミュニティが存在していたのを想像するだけでわくわくします。
東洋のマチュピチュからは新居浜の市街地と瀬戸内海が見渡せます。絶景です!
上から見た東洋のマチュピチュ。
銅鉱石を下の選鉱場に落とすトンネル、とガイドさんが言っていたような・・・
インクライン跡は220段の階段になっています。※インクラインとは生活用品や資材を引き揚げたり下ろしたりするためのケーブルカーの一種。
インクラインの当時の写真。
貯鉱庫跡:この巨大な石積は、貯鉱庫のあったところです。坑内から運び出された鉱石をは、索道基地から下部鉄道黒石駅(昭和10年からは端出場)に運搬されるまでの間、ここに貯められていました。
引用元:現地看板より
索道基地跡(さくどうきちあと)。1902年ドイツ人の索道技師により設置された自働復式索道。鉱石を輸送するだけでなく、物資、生活品、木材などの輸送にも使われていたそうです。
ガイドさんによるとこの4つの柱の上には風雨を防ぐための頑丈な屋根が掛けられていていたそうです。
東平歴史資料館にある写真:東洋のマチュピチュ当時の様子。
娯楽場の模型。娯楽場は明治45年に建築されたもの。
社宅の模型。山肌を切り開いて住居が建っていたのがわかります。
かご電車。1938年から1973年まで坑内約4,000メートルの移動に使用された人車。
マイン工房(旧保安本部)。銅板のレリーフやしおりなどのお土産が売っています。
展示されていた銅鉱石。ずっしりけっこう重い!
マイントピア別子 端出場ゾーン
2時間の東平ゾーンのガイド付き観光を終えて、再び端出場ゾーンに戻ってきました。お腹もちょうど減ってきたので、施設内で簡単にランチ。
施設の2階には「もりの風」というレストランがありますが、1階の軽食コーナーで蒸しパンと巻き寿司を買って簡単に済ませました。どちらも美味しかったですが、蒸しパンは特に気に入りました。
旧火薬庫を利用した333メートルの観光坑道までは鉱山鉄道で向かいます。
1892年(明治25年)にドイツから輸入された別子銅山専用鉄道用の機関車。原寸大83%で復元されたたものです。
当時の鉱山鉄道の写真(東平歴史資料館より)
マイントピア別子のキャラクター「銅太君」がお出迎え。
観光坑道の入り口。坑道内では別子銅山の変遷がわかる展示エリアと採鉱の現場を体験できる遊学パークがあります。
江戸時代の採鉱の様子。サザエの貝殻でつくった灯りで坑内に入ったそうです。江戸ゾーンのあと近代ゾーンへ続きます。近代ゾーンは明治から大正にかけての別子銅山をジオラマで再現しています。
遊学パークAは採鉱現場をアスレチックっぽく体験できます。地下1,000メートルまで降りたような気分になるエレベーターはある意味恐怖な体験でした。
索道体験ができるゴンドラ。柵を開けて一人乗りのかわいらしいゴンドラに乗車。レバーが付いているので自分で発進、停止を操作します。
ゴンドラで下まで降りる奥さん。
ゴンドラからの視界はこんな感じです。
遊学パークBでは大きな岩のレプリカで採鉱作業を体験できます。
岩を砕くドリル。スイッチを入れるとブルブル激しく振動して岩を砕きます。
巨大岩を持ち上げて力試し。
旧水力発電所は明治45年の完成の建物。当時は落差東洋一だったそうです。
砂金採り体験コーナー。大人600円で30分、砂金採りが体験できます。ちょっと軽んじていましたが、やってみたら意外に夢中になってしまい30分では時間が足りません!
金のほかに、銀や天然石も採取できます。
水槽の底にある砂をパン(皿)ですくって、水中で皿を回しながら砂と鉱物を分離します。金や鉱物は重いので皿の底に残ります。
一攫千金を目論む人たち。金3つと天然石が採れました!
最後はマイントピア別子の名物「いよかんソフト」を食べて東洋のマチュピチュ観光は終了です。朝から充実の1日でした。
東洋のマチュピチュ別子銅山 感想
江戸時代から昭和まで続いた歴史ある産業遺産は一見の価値ありです!鉱山跡の東平ゾーンと体験型の端出場ゾーンがうまく連動していて、1日おもいっきり楽しめます。
ちょっと軽んじていた砂金採り体験もコツをつかむとめちゃくちゃハマります。
松山市内、道後温泉の観光は押さえつつ、スケジュールに余裕があれば、東洋のマチュピチュ別子銅山、おすすめです。
別子銅山 アクセス
松山市内から車で1時間20分程度です。公共交通機関を利用しても行けるようですが、市内でレンタカーを借りました。
公共交通機関の場合は予讃線「新居浜駅」から別子山地域バスが運航しているそうです。
別子銅山 観光 所要時間
東洋のマチュピチュの東平ゾーンは定期観光バスとガイド付きで移動も含め2時間のツアーになっています。端出場ゾーンは鉱山のテーマパークと砂金採りを体験して3時間程度でした。マイントピア別子にはレストランや温泉施設もありますので、1日にいて充分楽しめる施設になっています。
東洋のマチュピチュ 兵庫
東洋のマチュピチュと言えば、まず最初に思い浮かべるのは兵庫県朝来市にある「竹田城」だと思います。ほかにも大分県宇佐市の「西椎屋の景」も有名です。
◆愛媛2泊3日 関連記事◆